あめやゆき「透明人間にぴあす」

大好きな動物園。大好きな恋人とのデート。
――だけど、ユウの心は、暗く、沈んでいた。
「どうしたの? 大丈夫?」
心配そうに窺う恋人に、ぼんやりとしていたユウは、ふと我に返って、慌てて首を振った。
「や、なんでもない。ちょっと、ぼーっとしてただけ」
「そう? あ、もしかして、お仕事忙しいとか? ……ごめんね。お家デートにすればよかったね」
「……いや、気にしないで。本当に、なんでもないから」
しょんぼりとする恋人に笑顔を向けて、ユウは逃げるみたいに、さっと顔を逸らした。
――わたしが悩んでいるのはあなたのせいだよ、なんて、言えるはずもないから。
さらさら、さらさら、優しい匂いをはらんだ冬の風が、甘く、吹き抜ける。
そっと目を動かせば、隣で揺れる、恋人の長い髪。
細く綺麗な髪の、その色は――目も冴えるような、桜色。
――なに、それ。
今朝、待ち合わせに現れた恋人、アサヒを見て、ユウは目を丸くした。
つい先日会った時までは黒い色だった髪が、そんな色に染まっていたから。
――だって、ピンクの髪が好きなんでしょ?
笑って答えた彼女の言葉に、だけど一瞬、ユウは何のことだかわからなかった。
だってそれは、前のデートの時、すれ違ったピンクの髪の女の子を見てさりげなく口にした、冗談みたいな言葉だったから。
似合っているとは思うし、可愛いと思う。だけど、本当にそんなつもりじゃなかったから、驚いて、戸惑って……素直にそう伝えると、アサヒは笑って。
――それなら、帰ったら黒に戻すね。
なんて、まるで何でもないみたいにそう言った。まるで、服を着替えるみたいな気軽さで。
その瞬間、ユウの中で、何かが崩れる音がした。
それは、今まで少しずつ積み上げられてきた、彼女に対する違和感の塔。
――ユウの恋人、アサヒは、ユウの好きなものに合わせる、そんな人だった。
もちろん、それだけなら普通のことだと思う。ユウだって、髪や服装を恋人に合わせたことはあるし、アサヒが自分の好みに合わせてくれていると知った時も、くすぐったくて、嬉しい気持ちだった。
だけど、付き合っているうちに気づいた。彼女のそれは、普通とは、ずれているのだと。
彼女は本当に、全部全部、ユウの好みに合わせてくれるのだ。髪や服、メイクのような見た目だけでなく、趣味から、好きな食べ物まで、何もかも。
今日だって、動物園に行きたいと言ったのは彼女だけれど、それもきっと、ユウが動物園を好きだから、だろう。
――まるで透明人間みたい。
透き通るようなピンクの髪を見つめながら、ユウは思う。
少しずつ、少しずつ、ユウの色に染まっていくアサヒ。それはまるで、自分の色を持たず、景色に溶け込んでしまう、透明な人間のよう……そんな想像が浮かんだ時、胸の中に、ある不安が過った。
――もしもいつか、自分がいなくなってしまったら、彼女はどんな色になるんだろう。
いつまでも、ユウの色に染まっているのだろうか、それとも、すぐにでも透明になったり、他の誰かの色に染まったり、するのだろうか――まるで、着替えるみたいな、気軽さで。
「あ、カピバラさんだよ! 可愛いね!」
細い指を向こうへ差して、きらきら眩しい笑顔が振り向く。
……わかっている。自分がいなくなった後にも自分を想っていて欲しいだなんて、それはただの、理不尽なわがままだと。
だけど、どこまでも透明な彼女だから、そんないつかが訪れたとき、彼女の中から自分という色がひとかけらもなくなってしまうかもしれない、なんて、不安になってしまう。
こうしている想い出も、その笑顔も、全部全部、消えてしまうんじゃないかと――。
だから。
「ねぇ、アサヒ」
だから、ユウは思わず、呟いていた。
「――ピアス開けてみて、って言ったら、開けてくれる?」
アサヒの綺麗な瞳が、きょとん、と、丸くなる。
――ピアスの痕は、簡単には消えたりしない。
ピアスなんて一つもつけていない彼女だから、たとえ、いつか透明になったとしても、いつか誰かの色に変わったとしても、その痕を見れば、きっとユウを思い出す。
いつまでも、いつまでも、その痕が消えるまで、ずっと、ずっと、ずうっと――。
「……なんてね」
ふっ、と、ユウは苦笑した。
いくらなんでも、さすがにそれは重すぎる。
いくら彼女が自分の色に染まるからと言って、自由にしていいわけではないし、自分がいなくなった後の彼女がどうするかなんてことも、彼女自身の、自由なのだから。
「ごめんね、いきなり変なこと言って」
今の、冗談だから――そんな風に、続けようとした言葉を。
「いいよ」
アサヒの声が、遮った。
思わず言葉を詰まらせたユウに、アサヒは小首を傾げて、愛らしく微笑んだ。
「それで、どこに開けたらいいの? どんなピアス、つけたらいいかな?」
まるで何でもないみたいな、まるで、出かけるみたいに気軽な、アサヒの笑顔。透明な、笑顔。
そんな、大好きな恋人の笑顔を見つめて――ユウはそっと、白い息を落とした。

作家コメント
大好きだから、いつかを想像してもやもやしちゃう、そんなお話です。
参考 あめやゆき作者pixiv
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