ATライカ「一目ぼれ」

町外れの山にある廃墟に幽霊が出るらしい。そんな夏らしい噂話につられて、放課後、コンクリートむきだしのホテルの屍に一人やってきた。
エントランスの扉は外れていて、そっと踏み込めば、昔はシックだったらしい床に土や壊れた何かが散乱していた。薄暗いそこを見回して何もいないことを確認したら、幽霊よりむしろ怖い人が出てきそうな恐ろしさに気後れしながらも受付の横を通り過ぎる。
奥も広く暗い空間で、破れたソファや割れたテーブルを見るに嘗ては談話室だったらしい。そこで私は、重い物を引きずった真新しい跡があることに気が付いてしまう。
何かがいると察してしまえば、お腹に冷たい物が溜まっていくような、背筋を舐めあげられるような、恐怖が湧き出てくる。ここに居たくない。鞄を抱きしめて家に帰ろうと踵を返した瞬間、ピアノの音が聞こえてきた。
場違いなはずなのに腑に落ちる、寂しくも美しい調べ。
「どこ?」
引きずった跡が延びる廊下の突き当たり、光が差し込んでくる曲がり角から聞こえているようだった。
私は誘われるように奥へ足を向ける。
何という曲だろう、それは分からない。でも、この死んだホテルに相応しい旋律。
角から顔を少し覗かせ正体を見る。
一面ガラス張りで町を見下ろせるその部屋には、眩い夕日が差し込んでいて、ピアノと人だけが影を作っていた。
目が慣れてくれば、奏者は女の人だとわかる。彼女はピアノだけに目を落としていて、時折何事か動く唇は妖艶で、滑らかに動く腕は白く輝いていて美しかった。
彼女をじっと見つめていると、うるさいほどの心音が聞こえ始める。
だんだん日が落ち部屋が暗くなると、彼女はゆっくりと演奏をやめてしまう。それでも私が彼女から目を放せないでいれば、不意に目が合う。
駆け出した。
彼女の驚いた顔が脳裏に焼き付き、脇目も振らずに廃墟から抜け出る。
私は暗く横たわる町へと、夏の暑さとは別の熱さを感じながら、心に憑りついた幻から逃げるように走った。

参考 作者pixivATライカ

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