おおきたつぐみ「刺繍」

紗英が夏休み前に転校をするという話は突然発表された。
勉強ができて、明るくて優しい学級委員長が、遠い北海道に行ってしまうというニュースに、クラスメートたちはざわめいた。
同じ日本とはいえ、海を隔てるほどの遠さに、この先もう会えないんじゃないかと思い、その晩は涙が溢れた。
私は紗英が好き─そう自覚したばっかりだったのに。
2年になって初めて一緒のクラスになった時、紗英はすぐに華やかで目立つ子たちに囲まれるようになったけれど、彼女はその中でもひときわ美しく快活に輝いていて、いつも教室の隅で本を読んでいるだけの私なんて眼中にないと思っていた。
だけどあれは運動会の練習が続いた頃、
「田川さんっていつも率先して後片づけしてくれるよね。ありがとう」
と声をかけてくれた時、どんよりしていた私の世界にまるで光が射したみたいだった。
名前を知っていて、私の行動に気づいていてくれたこと。
大げさだけど、これからも生きていっていいんだと思えたほど嬉しかった。

だから、私は、紗英に感謝の気持ちを込めてお別れのプレゼントをすることにした。
ハンカチにあなたのイニシャル「S」を刺繍する。
裁縫は、小さい頃から祖母に教えてもらった数少ない私の特技だったから、心を込めてひと針ひと針。
Sは、紗英だけのイニシャルじゃなくて。
多分知らないと思うけれど、私のこと、忘れないでという祈りを込めて。

紗英の通学最終日の放課後、彼女へプレゼントや手紙を渡して別れを惜しむ生徒たちが紗英を取り囲んだ。
私はみんなの前で紗英の目さえ見ることもできず、ハンカチをラッピングした包みを押し付けるように渡してその場を離れた。
ありがとうも、さよならも言えずに。
涙をこらえて歩いていると、ポンと肩に手を置かれ、振り向くと笑顔の紗英がいた。
「イニシャル刺繍してくれたんだね、ありがとう園実!」
名前、知っててくれたんだ……。
紗英、ありがとう。大好きだよ。

作家コメント
大好きな人の誕生日にイニシャルを刺繍していた時、思い付いたお話です。

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