実のところ自分は、とても物欲の薄い人間だったらしい。
わたしがこれに気づいたのは、かつて狂ったように恋した佐和名さんを、ついに諦めた後だった。
当時わたしは、佐和名さんのすべてを欲した。
彼女の恋人になりたいのはもちろん、彼女を産んだ母親になりたいとすら願った。
それが不可能なら、佐和名さんから優しい言葉、ささやかな贈り物、忘れられない思い出をいただけないかと思ったし、これも無理なら、床に落ちた彼女の、長くやわらかな髪の毛が欲しかった。
だけどわたしは、とても臆病であった。
佐和名さんが気味悪がることは『嫌がることをしたくない』という意味でも『嫌われることをしたくない』という意味でもできず、そして、何度か真剣に想いを伝えたが、それが届くことはなかった。
「好きです」
わたしがそう言うと、佐和名さんはいつも『ありがとう』『自分も友達としてあなたが好き』という主旨の言葉をくれた。
わたしの告白は本心と思われなかったのかもしれない。
あるいは本心と理解したからこそ、そう返事したのかもしれない。
こうしてわたしは失恋し、佐和名さんに恋人の影を見た日、とうとう距離を置いた。
その後、強欲だった自分が、佐和名さん抜きではひどく物欲の薄い人間と気づいたのだ。
かつてのわたしは、佐和名さんが捨てた、飴の空箱さえ欲しかった。
だけど今は、自分の持ち物さえ滅多に増やさない。
ミニマリストに近い性質だと気づいたのだ。
そんなわたしが、唯一今でも欲しがるものがある。
あの頃佐和名さんがよく舐めていた、アセロラ味のキャンディーだ。
この飴を手にする時、わたしは思い出を買い、食べている。
北欧の国で作られた、口の中ですうすうと甘く香る味を確認し、佐和名さんとの日々を反芻する。
それだけが、今のわたしの唯一の物欲、いや、欲求なのだ。
果たしてわたしはいつまで、この飴を買い続けるだろう。
できることなら、一生買い続けることだけは、許されますように。
そう願いながら、わたしは今日もこのキャンディーを舐める。