あめやゆき「観覧車」

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別れよう。
二人きりの観覧車。閉じられた空間に、リンの言葉が冷たく響いた。
「……そっか。うん、そう、だね」
思ったより、ショックは大きくなかった。
マドカも、きっとこうなるだろうなと、そんな予感はしていたから。
どちらかと言えば、とうとう来たか、とか、ようやく来たか、なんて、ほっとするような気持ちが湧いてきていて、胸がつきりと痛む。
「……ごめん。ずっと一緒にいようって言ったのに」
「なんで謝るの? 別にリンは悪くないでしょ? あ、だからって、あたしも別に悪いことしてないと思うけどね!」
えへっ、と、作り笑いをしてみれば、向かいの席のリンもまた、力の抜けたみたいな笑顔を浮かべた。
――二人の間に、大きな問題は特になかった。
喧嘩らしい喧嘩だって、これまでもほとんどしていない。
だけど、それでも最近小さな溝を感じていたのは、きっと、ほんの些細なすれ違いやわだかまりが、どこかで少しずつ、少しずつ、積み重なっていったせい。
再び訪れた沈黙を乗せて、ゆっくり、ゆっくり、観覧車は上っていく。
夕空の光が、強く、痛く、窓を抜けて、二人を照らす。
――大学生の時に知り合って、付き合って、同棲して……もう、八年。
他の人のことは知らないけれど、多分、長く持った方だと思う。
多分、きっと、こんなことになったけれど、上手くいっていた方だと、思う。
淡く揺れる空の色を横目に見ながら、マドカは買ったばかりのワンピースの膝元を、ぎゅっと、ぎゅうっと、握り締めて――俯きかけたリンに、笑顔を向けた。
「ねぇ、最後に一回、キスしてよ」
色の薄い瞳が、きょとん、と丸くなる。
「いいでしょ、最後に一回くらい。友達に戻ったら気軽にできないし……私たちの、恋人としての最後の思い出に、ね?」
いつもおねだりするみたいに、小さく首を傾げてみれば、固まっていたリンの顔も、ふっと、柔らかに崩れた。
「うん。そだね。最後に一回だけ……って、一回でいいの?」
「え? あー……うん。ほら、何回もやってたら、さすがに他の人から見えちゃうかもだし」
「あー。それもそうだね。……ふふ、マドカって、意外と恥ずかしがり屋さんだよね?」
「意外とって何さ意外とって」
笑いながら、隣へと移ってきたリンを軽く小突く。
「そーゆーリンは、結構大胆だよね。意外と!」
「いや、大胆ってゆーか、ほら、わたし、自分に正直に生きるって決めてるからさ」
「何それー。初めて聞いたんだけど」
「だって今思いついたし」
「本当何それ!」
顔を見合わせて、お互いに、ふはっと吹き出して笑い合う。
一緒にいる時にこんなに楽しく笑ったのは、いつぶりだろう。
ずっと引っかかっていたものが抜け落ちたからだろうか、なんだか、気持ちが、胸が、ふわりと軽くて、とても、心地がいい。
――そして。
観覧車がてっぺんを過ぎた頃、一際、強く差し込む夕日の中。
どちらからともなく、唇を重ねていた。
久しぶりなのに、まるで昨日まで毎日交わしていたみたいに、自然なキス。
――好きだよ。大好き。
初めてキスした日のリンの声が、ぽろりと胸からこぼれ出て、膝の上に、落ちて、消える。
――ああ、観覧車、降りたくないな。
ふと胸を刺す、そんな気持ち。
今更、楽しかった恋人同士に戻れるなんて思わないし、思えない。
でも、今はなんだかとっても幸せだから。
今、この時、この瞬間だけは、きっと世界中の誰よりも、幸せな二人でいられている気がするから。
――だから。
だからどうか、もう少し。
もう少しだけ、このまま――このままで――。
ぽろり、ぽろり、閉じた瞼から想い出がこぼれていくのを感じながら、マドカはそっと、リンの背中に腕を回した。
 
時間が止まったように固まる二つの影を乗せて、それでも、観覧車は回る。
ゆっくりと、静かに、傾いていくオレンジの光を、浴びながら。

参考 あめやゆき作者pixiv
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