あめやゆき「唇にぴあす」

「ねぇ、それ、マジのやつ?」
 小さなカフェの隅の席。ナエはジト目で、向かいに座るアサヒの唇を指さした。
 ストローを咥える、桜色の唇。その端の方に、金色に光る、小さな輪っか。
「うん。マジのやつだよ」
 ストローを離して、にこり微笑む唇に、ナエの目は、さらにさらに細くなる。
 ――買い物中、偶然出会った元カノが、唇にピアスを開けていた。
 高校、大学と一緒に過ごしていたけれど、耳にだってピアスを開けたことのない彼女だから、そんな姿に一瞬驚いた。けれど、理由はすぐに、思い至る。
「……彼女の趣味?」
 コーヒーカップに手をのばしながらたずねると、アサヒは、うん、と頷いた。
「あ、でも、ただの彼女じゃないよ? 今ねー……ふふ、婚約してるの!」
 照れるみたいに頬を染める姿に、思わず眉をひそめてしまうけれど、苦いコーヒーを舌で転がして誤魔化した。
 ストレートの長い黒髪に、白いワンピース。整った顔は薄いメイクでも十分映えて、まるで、漫画に出てくるお嬢様のよう……そんな中で、唇のピアスだけが浮いている。
 どうしてそんな不釣り合いな恰好をするのかといえば――それはアサヒが、恋人に染まるタイプだからだ。
 染まると一口に言っても、アサヒの場合は重症で、相手の好みに合わせて、まるで着せ替え人形みたいに、髪も、服も、メイクも、趣味だって、がらりがらりと変わってしまう。
 アサヒ曰く、好きな人が、好きだから。
 それはもちろん、ナエと付き合っていた頃だって、そうだった。ナエの好きなセミロング。ナエの好きなミニスカート。そして、ナエと同じ、アイドル趣味。
 そんな風に何もかも合わせてくれるのは、どこか気持ちよくて、どこか、気味が悪くて。
 ナエは、そんな彼女の性格が、大嫌いで、大好きだった。
 ――せっかく綺麗な唇なのに。
 もったいない。
 パステルピンクの唇に、ぽっかり空いた、小さな穴。
 いつかピアスを外したとしても、きっとそこには、ずっと治らない痕が残る。ずっと、ずっと、ずうっと、消えない消えない小さな痕が……。
 ――なんて、何年も前に分かれた元カノにもやもやするなんて、未練がましくてばかみたい。
 今の自分に、彼女を自由にする権利なんて、ないのにね。
 カップを置いて、アサヒの顔をじっと見る。
 おいしそうにオレンジジュースをついばむ、幸せそうなアサヒの顔。誰と付き合っていたって見せる、同じ顔。
 ――みんな、みんなに見せているのに、わたしだけの特別だと思っていた顔。
「ねえ、アサ」
 つい昔の呼び方で呼んでしまって、浮かびそうになる苦笑いを、いじわるな笑顔に変えて、エンゲージピアスを指さした。
「それ、引っ張っていい?」
 ピンクの指先でピアスを撫でながら、アサヒはくふっとかわいく笑う。
「それ、ぜったい痛いやつだから」

参考 あめやゆき作者pixiv
作家コメント
もう恋人じゃないけれど、それでもちょっと、もやもやしちゃう。そんなお話です。

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