玉置こさめ「ティンカーベル」

ティンカーベル

「歌うの?」
 あたしが尋ねる。ミキは頷く。
「だってありがとうって言わないと」
 ありがとうって言うことすらも、彼女にはそれが歌なのだ。つぶやく声が掠れてる。
「なしにしましょうよ、ね。みきりん。別に今日が最終公演じゃないですから」
 マネージャーが無理を言う。いや、無理を言っているのはほんとはミキの側だ。もう声が出ないのにアンコールを歌おうとするロック・スター。ステージの端のかろうじて客席からは見えないその袖で、いくつも重ねて敷かれたツアーグッズのタオルの上に彼女は倒れてた。燃焼しきって。
「あんたのトレーニング不足だ、あんたの努力不足だ。ミキ」
 なじって、彼女の腹を軽く踏んだ。睨んで見下ろす。
「でもみんな今夜は一度きりっていうか、またいつかきてくれるかもしんないけど。安くないし、チケット代。今夜だけアンコールなかったら変。その子たちが大人になってもウェンディは自分たちの夜のときだけアンコールやってくれなかったって泣かれる。嫌」
 ウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリング。あたしたちのバンドの名称。夢見るミキが付けた名前は最初友達くらいしか知らなかったのに段々拡散されて。今は地方公演の夜。初めての土地。あたしはずっともうミキの脇でギターを弾いてる。ただの楽器。
「誰も泣かないよ、別に。馬鹿みたい。マネージャー、ハチミツ持ってきて」
 ハチミツ入りの生姜湯。ミキの好きなやつを、心配しすぎてべそかきながらマネージャーは持ってきた。今夜なんてみんなの人生のうちのたった一夜、そんなのにほんとに価値があるなんてミキは信じてる。ウェンディの資質が確かにある。大人にならずにいられると信じてる少女にしか魔法はかからない。今夜も空席を埋めるのは大人になりたくないくせにその夢をチケットに委譲する卑怯なピーターパンども。そんな連中のための空間。ウェンディは結局夢の国で小さい子供たちの面倒をずっとみる羽目に陥るのに。
 足掻かなくても女の子は大人にならないのに。
「シズちゃん、飲ませて」
 ミキが目を閉じて甘える。あたしはそれを口に含んで、その唇に押し当てた。マネージャーが半狂乱になって何か喚いた。ミキも目を見開いて呻く。こぼれないように舌で喉の奥にそれを導く。
「ンーッ! ンーッ! ンーッ!」
 抵抗されてばたばた肩を叩かれた。口の中が空になったから離れる。
「あにすんの、人前で!」
 平手打ち。頬に響く。よし。元気だ、よかった。あたしたちの仲は公認だけれど、確かにショウにしたことはない。マネージャーが慌てる。あたりのスタッフ一同に、あのあの今のは違うんですうと説明する。いいよそんなの。違わない。
「飲ませてっていうから」
「普通に! 飲むの手伝ってくれれば良かった!」
「ミキ、女の子ってさ、大きくなったら大人じゃなく女になるんだって。漫画の受け売り」
「へあ? 何それ」
 自然にその体が起き上がって、こちらの腕に寄りかかる。
 歌いなよ。いくらでも酔いしれて気持ちよくなってよ。
 連中とあんたの橋渡しなんてしない。
 魔法なんてギターで全部かき消してあげるから。今夜も。

LINK

玉置こさめ作者Twitter

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA